セルフカウンセリング☆自分を真に癒せる人は、人にも癒しを与えられる。

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セルフカウンセリング☆自分を真に癒せる人は、人にも癒しを与えられる。

カウンセラー・セラピスト

2015/07/10 セルフカウンセリング☆自分を真に癒せる人は、人にも癒しを与えられる。


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 心理カウンセラーを目指してマスターのプログラムを学ぶ仲間、Tさんから素晴らしい報告がありました。
 
Tさんは家族の問題を抱えてとても悩んでいましたが、
マスターのプログラムを学び、自分自身の内なる分離質を分解し、記録する作業を地道に続けていました。
そうすることで、お父さんの死や、お姉さんの境界性パーソナリティ障害から見えてくる、家族の泥が随分と洗い流されてきたようです。
 
本当に自分を癒せるのは自分自身。
とても素晴らしい内容のセルフカウンセリングです。
Tさんから皆さんの参考になれば嬉しいとのことで、公開の許可を頂きました。
 
以下Tさんのセルフカウンセリングの内容です。
       ↓↓
 
家族の問題からセルフカウンセリングができ、自分の顛倒夢想が明確に分かりました。
 
顛倒夢想を抱えてしまった過去の事象に焦点をあててみて、
 
「だから私はこんな観念を持っていたんだ。
 
 
 
その顛倒夢想が自分の中にあると、なんとなく気が付いていたけど、抱えてしまった原因が分かると、自分の中の小さい子供を癒すように、自分を慈しむ気持ちになれた」んです。
 
 
 
そのセルフカウンセリングが出来たことで、姉との距離を保ち、姉からの不当な攻撃も、姉の精神の病気が起こすこととして捉えることが出来るようになってきました。
 
 
 
心理学のカウンセリングの方法で、交流分析という手法があります。
 
その中に、「人生脚本」という概念があります。人はみな、3~6歳ごろに、「自分の人生はこういうものだ」「私はこう生きていこう」という人生のあらすじを書き上げる、というものです。
人生脚本は、幼いころの環境をもっとも効率よく生き抜くために必要だったことで、幼児期の生活環境の中で作られます。
自分が設定したストーリーを正当化するような対人関係を選び、ストーリーを正当化するように振る舞い、ストーリーを正当化するようなものの捉え方をしていきます。
脚本は、勝者の脚本、敗者の脚本、平凡の脚本があり、特に敗者の脚本を描いた人は、同じ失敗を繰り返す、おなじみの結果におわる、
なんだかいつも上手くいかない・・という人生を無意識のうちに選択している、というものです。
私は、この敗者の脚本というのが、幸せ回避症と同義であるな・・・と思い、交流分析に興味を持ち、すぅ~っと概念が頭に入ってきました。
 
そして、私はどんな脚本を幼少期に描いたのだろうか?と、自分を深く探りたい、なぜ物事が上手く行き始めると、自分の中にストップがかかり、外界からもストップがかかるのか?自分の幼少期を洗い出し、私が書いた脚本を言語化してみたくなりました。
気付きノートに、断片的に集めてきたものが、5日前くらいから、一つに繋がってきました。最終的に出てきたものを見つめて、溜飲が下りました。
それから、さわやかで清々しい気持ちでいっぱいです。
青い空に向かって、「わかったぁ~!」と叫びたくなるくらいです。
静間さんに一番に報告したい気持ちになり、メールを書いています。
 
以下、私のセルフカウンセリングになります。
自分を知るため、まとめるために文章化してみました。読んでいただけたら幸いです。
 
姉と私は2歳違い、ちょうど姉が2歳になるころ、私が生まれました。
2歳と言えば、自我が芽生えるころ、母子分離を迎え、その後の人格を形成するのに大事な時期と言われています。
もちろん、今でこそ心理学も一般に広く知れ渡っていますが、当時の母を代表とする世代の人に、自我が芽生える、母子分離を不安なくさせることが大切・・・なんていう知識はなかったように思います。
知らないほうが一般的だったし、その事で母を責めるつもりはありません。
 
2歳のころの姉の心境は、今まで、私だけのお母さんだったのに、お母さんが小さい赤ちゃんを抱いている。赤ちゃんに触ろうとすると、叱られる。お母さんは赤ちゃんばっかりで、私はお父さんと一緒に過ごさなければならない。そして、なんでか分からないけど、急に「お姉ちゃんだから」と言われる。お母さんに甘えたくても、「お姉ちゃんでしょ」って言われる。なんで?
 
そんな、気持ちを抱えながら、2歳になり、3歳になり、母から分離するという、誰でも通過する体験をします。姉の心は、満たされないまま、不安を抱えたまま、母子分離を迎えたように思います。母親から離れるときに、嫌だけど「お姉ちゃんだから」と言われ、我慢をした。2歳の姉に恐怖があったけど、母はそんな姉を理解することが出来ず、「お姉ちゃんだから」という言葉で済ませてしまった。
 
2歳の姉が、恐怖を感じても、母に助けを求めることも出来ず、自分を守るために無意識で働く本能は?
 
「妹がいなければ、母は私の物。妹がいなければ、母は私にだけ愛をくれる。妹がいなければ・・・」
 
2歳の姉が、無意識にこの観念を植え付け(親によって植え付けられたのかも?)、その観念にのっとって、その後の自分の行動を決めていたように思います。
 
「妹が嫌だ!妹が邪魔だ!」
 
2歳違いの姉妹なので、一緒に遊んでいても、物の取り合いになったり、いろんないざこざがあっただろうと思います。それは、こどもが成長していく中で社会性を身に着ける大事な過程です。そこで、大人がどう関わるか?物の取り合いになったら、どうするか?という事を、子どもは学んでいきます。
私たち姉妹の場合、物の取り合いになった場合、「お姉ちゃんだから譲ってあげなさい」というように、親がむりやり解決させたことが多いように推測できます。
 
また、ここでも「お姉ちゃんだから」と言われ、無理やり納得させられる。
 
さて、ここで、妹である私に焦点を移します。
 
姉と物の取り合いになった場合、妹は泣いて主張する「それは私の物!」と。すると、親の中で、泣いてる妹はかわいそう・・・いじめたのは姉・・・という構図が出来上がってしまいます。そうして、小さい私たち姉妹は、姉が遊んでいたものを無理やり妹が奪い取ったりする状況でも、「妹・・被害者、姉・・加害者」というように、親に判断されるようになりました。
 
妹である私は、泣くことで被害者になることができ、親が自分をかばってくれれば快感を覚え、同じような状況がくれば、同じ行動をする(泣いてアピールする)ようになったと思います。
 
被害者になることで、自分の存在をアピールするようになり、「私はかわいそうな存在なんだ」ということをアピールして、自分を認めてもらう→そのような状況に自ら飛び込んででも、「私はかわいそうな存在なんだ」と存在を主張する→不幸な状況に自分を追い込むような人と付き合う・・・例えば、アルコール依存症の人と付きあい、泥沼になっていく(20代に経験しました)とか、その時は無意識で選んでいる選択がことごとく間違っている(被害者になりたがる選択をする)
 
その一方で、姉は、さらに妹の存在が疎ましかったでしょう。
疎ましい妹が笑っている=妹は幸せ  ⇔  対照的に妹が笑っていたら、姉は不幸を感じるようになり、妹に意地悪をする
 
私自身、幼少期の記憶で姉に意地悪をされたという具体的な事件を思い出すことは出来ません。姉の証言によると「妹が嫌いだったから、意地悪をした」と、大人になってから聞きました。以下は、姉が妹に意地悪をした、という事を前提に書きます。
 
妹が満たされている、楽しく笑っている ← 姉は妹が疎ましい、邪魔だ、消えて欲しい→妹に意地悪をしてしまう・・・
 
とりあえずここまでの報告でした。
 
とても素晴らしい内容で心にじ~んと来ました。
まずは、自分自身を救いきることが大事ですね。
 
潜在意識は自他の区別が付かない。
自分を真に癒せる人は、人にも癒しを与えられる。
カウンセリングの極意は相手の話を心で聞き、相手が自分の足で立てるように導いてあげること。
 
 
 
 
 
 

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