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5月の復習&交流会を終えて♪
今月の復習交流会ではマスターの音声ファイルを聴いた後、Kさんを偲んでシェアの時間を取りました。 肉体は滅んでも魂は永遠に続く・・・
以下、マスターのテキストより♪ 輪廻転生とカルマの法則について・・・
前世で到達していたレベルには転生後、人生の早い内にその地点に到達します。 既に前生でマスターしている事なので、その地点にさっさと到達してしまうのです。
魂が成長しその理解のレベルに到達していた事は、深く検証する事無く、すっと理解が起こります。 聞いただけで解るのです。
意識の進化成長が大事だとは、そういう事です。 それはイエスの言った「天国に蓄えるモノ」に関する事で、それには或る働きが有るのです。 そしてそれには様々なジャンルが有ります。
①精神の悟りのレベル②感覚や能力のレベル③運動能力や才能のレベル等々。 そしてそれらを通して為した事も、カルマとして阿頼耶識(アラヤシキ)の記憶に組み込まれます。
②や③は、先天的にその様な体質を持つ形質を選んで転生して来ます。 右脳感覚を啓いた人は、そういう形質を表すだろう肉体や環境を選択します。
スポーツでも音楽でも同じです。
①はそのレベルに早急に到達出来る様な環境を選択して転生して来ます。 そのレベルに早く至る為に、気付きが起こる様、敢えて逆境が起こる様な環境を選択します。
その逆境が生じないと、前生での悟りのレベルが思い出し難いからです。 言うなれば、早くそうなる様にとわざと、思い出し気付く為の障害を自分でプログラミングする訳です。
そしてリフレッシュした肉体と環境で、その続きを開始し始めます。 しかし、意識進化の十界の内、天界を超えて、声聞(ショウモン)界を超えないと、真理を知りませんから、巧く行ったら高慢や傲慢になったりして堕ちたりします。
釈迦はそれを六道輪廻と言いました。 六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天です。
殆どの人は真理を知りませんから、幾生にも渡ってこの中をぐるぐるぐるぐる廻っているのです。 良くないカルマを積んでいた場合は、それを再クリアすべき課題として転生先を選択します。
例えば、障害を顕現するだろう肉体を、自分自身が選んで転生するのです。 或いは悪環境もそうです。
自分の意識進化に必要だから自分で選択しているのです。 それは意識の成長と進化に必要な「立ち向かうべきモノ」です。自分のハートは知っているのです。
それをクリアしないと、マインドを通しての意識が成長出来ないという事をです。 ですから、逃げれば逃げるほど、自分で自分に与える課題は大きく過酷なモノに成って行きます。
それが解れば、自殺など、とんでもないという事が理解出来ます。 逃げて楽を得るツモリなのでしょうが、もっと問題が生じる地点から直ぐ再スタートします。
本人は、この世から全く消滅するツモリでいたのでしょうが、ダメになったのは肉体だけです。 阿頼耶識は消滅する事は有りません。そしてそれこそが自分の実存部分なのです。
逃避すれば逃避するほど、自分自身で悪環境に身を置く様選択するのです。 例えば、自殺した魂は、恐怖の悪夢を見続けている様な状態です。
苦しくて苦しくて、何とかしたいともがき続けます。そういうエネルギー状態なのです。 ですから、何とか助かろうとして、その時見えた光に縋り付こうとしてそれに飛び込みますが、 その時この世におぎゃーと飛び出してしまうのです。
そしてその環境や肉体は、以前の自分の為したカルマが決定します。 自殺は、究極の自己否定です。魂の宿題をたっぷり増やします。それは一生を掛けての宿題です。
生前の、不平不満を感じて絶望した状態より、もっと酷い環境からの再スタートです。 一旦逃げ出した苦しみと同じレベルの問題が、転生先でも必ず訪れます。
その魂にとって、それを立ち向かってクリアーしない限り、先に進めません。 そこで逃げたら、また同じ苦しみを繰り返すだけです。
立ち向かうという事を本当に悟り切るまでそれは続きます。それがカルマの法則なのです。 何故その様に成るのでしょうか? ・・・それは、それを通して学ぶ必要が有るからです。
先生が、生徒の為を思うからこそ、宿題を出すのと同じです。 先生が、生徒の代わりに宿題をして上げていたら、生徒に成長は有りません。
私が、自分自身こそが閻魔様だというのはそういう訳なのです。 故に、そのマイナスの祝福をギフトとして受け止めた人には、一種の悟りが訪れるのです。
潜在意識より奥深い阿頼耶識は、人間的な感覚に於ける損得など斟酌しはしません。 そして転生後のハートは、自分の意識進化に必要な事を更に引き寄せているのです。
だから総ての出会いには責任が生じているのです。 そしてその事に気付く事自体が、宇宙から無言で与えられている各人総ての課題なのです。
前生からのカルマ、その生まれ出た環境のカルマ、そしてその中で自ら選択し、 それらが織りなされる事を原因として、更に新たに形成するカルマに因って、その人の人生が展開するのです。 そのメカニズムが解ればこそ、人生はアートなのです。
24/04/25
24/04/01
24/02/11
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今月の復習交流会ではマスターの音声ファイルを聴いた後、Kさんを偲んでシェアの時間を取りました。
肉体は滅んでも魂は永遠に続く・・・
以下、マスターのテキストより♪
輪廻転生とカルマの法則について・・・
前世で到達していたレベルには転生後、人生の早い内にその地点に到達します。
既に前生でマスターしている事なので、その地点にさっさと到達してしまうのです。
魂が成長しその理解のレベルに到達していた事は、深く検証する事無く、すっと理解が起こります。
聞いただけで解るのです。
意識の進化成長が大事だとは、そういう事です。
それはイエスの言った「天国に蓄えるモノ」に関する事で、それには或る働きが有るのです。
そしてそれには様々なジャンルが有ります。
①精神の悟りのレベル②感覚や能力のレベル③運動能力や才能のレベル等々。
そしてそれらを通して為した事も、カルマとして阿頼耶識(アラヤシキ)の記憶に組み込まれます。
②や③は、先天的にその様な体質を持つ形質を選んで転生して来ます。
右脳感覚を啓いた人は、そういう形質を表すだろう肉体や環境を選択します。
スポーツでも音楽でも同じです。
①はそのレベルに早急に到達出来る様な環境を選択して転生して来ます。
そのレベルに早く至る為に、気付きが起こる様、敢えて逆境が起こる様な環境を選択します。
その逆境が生じないと、前生での悟りのレベルが思い出し難いからです。
言うなれば、早くそうなる様にとわざと、思い出し気付く為の障害を自分でプログラミングする訳です。
そしてリフレッシュした肉体と環境で、その続きを開始し始めます。
しかし、意識進化の十界の内、天界を超えて、声聞(ショウモン)界を超えないと、真理を知りませんから、巧く行ったら高慢や傲慢になったりして堕ちたりします。
釈迦はそれを六道輪廻と言いました。
六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天です。
殆どの人は真理を知りませんから、幾生にも渡ってこの中をぐるぐるぐるぐる廻っているのです。
良くないカルマを積んでいた場合は、それを再クリアすべき課題として転生先を選択します。
例えば、障害を顕現するだろう肉体を、自分自身が選んで転生するのです。
或いは悪環境もそうです。
自分の意識進化に必要だから自分で選択しているのです。
それは意識の成長と進化に必要な「立ち向かうべきモノ」です。自分のハートは知っているのです。
それをクリアしないと、マインドを通しての意識が成長出来ないという事をです。
ですから、逃げれば逃げるほど、自分で自分に与える課題は大きく過酷なモノに成って行きます。
それが解れば、自殺など、とんでもないという事が理解出来ます。
逃げて楽を得るツモリなのでしょうが、もっと問題が生じる地点から直ぐ再スタートします。
本人は、この世から全く消滅するツモリでいたのでしょうが、ダメになったのは肉体だけです。
阿頼耶識は消滅する事は有りません。そしてそれこそが自分の実存部分なのです。
逃避すれば逃避するほど、自分自身で悪環境に身を置く様選択するのです。
例えば、自殺した魂は、恐怖の悪夢を見続けている様な状態です。
苦しくて苦しくて、何とかしたいともがき続けます。そういうエネルギー状態なのです。
ですから、何とか助かろうとして、その時見えた光に縋り付こうとしてそれに飛び込みますが、
その時この世におぎゃーと飛び出してしまうのです。
そしてその環境や肉体は、以前の自分の為したカルマが決定します。
自殺は、究極の自己否定です。魂の宿題をたっぷり増やします。それは一生を掛けての宿題です。
生前の、不平不満を感じて絶望した状態より、もっと酷い環境からの再スタートです。
一旦逃げ出した苦しみと同じレベルの問題が、転生先でも必ず訪れます。
その魂にとって、それを立ち向かってクリアーしない限り、先に進めません。
そこで逃げたら、また同じ苦しみを繰り返すだけです。
立ち向かうという事を本当に悟り切るまでそれは続きます。それがカルマの法則なのです。
何故その様に成るのでしょうか?
・・・それは、それを通して学ぶ必要が有るからです。
先生が、生徒の為を思うからこそ、宿題を出すのと同じです。
先生が、生徒の代わりに宿題をして上げていたら、生徒に成長は有りません。
私が、自分自身こそが閻魔様だというのはそういう訳なのです。
故に、そのマイナスの祝福をギフトとして受け止めた人には、一種の悟りが訪れるのです。
潜在意識より奥深い阿頼耶識は、人間的な感覚に於ける損得など斟酌しはしません。
そして転生後のハートは、自分の意識進化に必要な事を更に引き寄せているのです。
だから総ての出会いには責任が生じているのです。
そしてその事に気付く事自体が、宇宙から無言で与えられている各人総ての課題なのです。
前生からのカルマ、その生まれ出た環境のカルマ、そしてその中で自ら選択し、
それらが織りなされる事を原因として、更に新たに形成するカルマに因って、その人の人生が展開するのです。
そのメカニズムが解ればこそ、人生はアートなのです。